三枝明那の歌う1984に感じた意味

タイトルで気になって、読みにきてくださった皆様ありがとうございます。

 

この文章は、にじさんじ所属VTuberとして活躍されている三枝明那(さえぐさあきな)さんが2020年に開催された邦ロックリレーの企画にてandymoriの「1984」を歌ったことについてフォーカスを当てたものです。

 

こちらはあくまで1人のファンによるひとつの解釈であり、公式とは全く関係がございません。

企画本編のネタバレを多分に含み、三枝明那さんご本人の意図とは違う解釈をしている可能性もございます。また、文脈によっては敬称略をしている場合がございます。その点をご考慮の上お読みください。

 

○目次○

1.andymoriとは

 

日本のロック・バンド(2014年10月に解散しました)、バンド名は芸術家のアンディ・ウォーホルと“メメント・モリ”との造語から名付けられた名前です。

2007年秋に小山田壮平(vo/g)、藤原寛(g)らで結成されました。

 

音楽ジャンルとしてはオルタナティブロックといったところでしょうか?

 

スタッフのYouth Records 庄司信也さんがホームページで書いていらっしゃった内容を引用させていただくと、まさに「YESやNOといったバンドとしての意思を明確に持っていた」と言えると思います。

 

また、これはあくまで個人的な批評にはなるのですが、常に誰かを置いて行かないような曲をたくさん作り続けていたのが、特徴だと思っています。

 

例えば、「Sunrise and Sunset」「シンガー」「革命」「クレイジークライマー」また今回取り上げる楽曲「1984」などが該当します。

 

2.「1984」歌詞考察

 

5限が終わるのを待ってた
わけもわからないまま

この歌詞から小山田さん自身の子供ころの描写を感じることができます。

これはどの年代の「学生」時代を表すのかはわかりませんが、過去の回想をしているのではないでしょうか。

 

5限は1日の終わりを表していて、おそらくその終わりにそわそわしている様子、でも理由も特になく。

椅子取りゲームへの手続きは
まるで永遠のようなんだ
真っ赤に染まっていく公園で
自転車を追いかけた

これについては考察とっても悩みましたが、おそらく最後の授業はとても長くて永遠のように感じる、といったところでしょうか。

 

終わった後は夕暮れの公園で友人と遊ぶ様子が表されているようですね。

 

誰もが兄弟のように他人のように
先を急いだんだそれは

主軸にはひとりの人ではなく複数のひとと一緒にいるのでしょう。

 

その中には心から信頼して心を許す友人もいれば、まだ顔見知り程度の存在もいるように受け取れます。

 

あるいは同じ仲間のなかでも距離が近づいたり離れたりすることがあるという学校に行く世代の独特な関係性かもしれませんね。

 

「先を急いだんだ」というのは「大人になること」をと認識したのですが、みなさまはどうでしょうか?

 

もし他にもあれば、ぜひ教えてください。

 

ファンファーレと熱狂 赤い太陽
5時のサイレン 6時の一番

楽しくて仕方のない様子。

でも5時になる5時の鐘の音と夕暮れの太陽。

 

帰る頃に見えた6時の一番星は一人になった様子を表しているのではないでしょうか?

 

1984 花に囲まれて生まれた

村上春樹の作品など色々なところで使われる「1984」という数字、実はこの歌を書いたご本人小山田さんの生まれ年です。

 

まわりの人々に祝福される中で誕生したという意味が大きくあると同時に、まわりの大人たちが1960年代のフラワーチルドレン世代だったのでは?という解釈もできます。

 

※フラワーチルドレンとは…1960年代〜1970年代にかけてムーブメントを起こしたアメリカのヒッピーのこと。ベトナム戦争を背景に、平和と愛の象徴として花で身体を飾っていたためにこう呼ばれた。

 

疑うことばかり覚えたのは
戦争映画の見すぎか

先ほどの歌詞でもふれた「フラワーチルドレン」「ベトナム戦争」はとても関わりがあるのではないかと考察します。

 

ちょうどフラワーチルドレンと言われた世代の子ども世代なので、まわりの大人たちから学んだという意味や戦争映画でベトナム戦争を題材にしたものが少しずつ出てきた時代なので、そこからいろんなものを吸収していたのではないでしょうか?

 

親たちが追い掛けた白人たちが
ロックスターを追い掛けた
か弱い僕もきっと
その後に続いたんだ

家族が聴く音楽に直接的な影響を受けることもよくある話です。

とくに親が好きな音楽を聴いて育つと、子どもはその世代の音楽を引き継ぐことになります。

 

小山田さんのように1980年代半ば生まれだと、おそらく親御さんの世代はちょうど日本でもロック全盛期と推測ができます。

 

また、「白人至上主義」に異議を唱えているようにも感じますね。

 

1984 裸で泣いてた君は
どこか遠い国の街角で
同じように泣いている
誰かに抱かれながら

 

ここから視点が少し変わります。

 

主軸は本人のままではありつつ、フォーカスを向けるのは日本ではなく世界になります。

 

自分自身と他者をまったく切り離すことはしないと受け取れるあたたかいメッセージだと感じました。

 

3.三枝明那が「1984」を歌う意味

 

VTuberは今現在様々な地域で見られています。

とくににじさんじは規模も大きく、三枝明那さん自身もとてもたくさんの人に見られております。

 

私も該当するのですが、好きになって日が浅い頃、過去の配信や企画を見ることが多く、新しい歌にも懐かしい歌にも出会うはずです。

 

その中でわたしは今回「1984」を歌う三枝明那さんをみて、大変救われた気持ちになりました。

 

今この瞬間にも残念ならかけがえのないはずの命がおもちゃのように扱われ、なくなっていっています。

 

4年前の投稿ですが、今わたしたちはこの曲と向き合い、痛みを感じることができるのではないかと思い記事を書きました。

 

また、先ほども触れたようにVTuberはさまざま地域で見ること/聴くことができます。

三枝明那さんの歌う「1984」を聴いて、いい曲だなと思い、調べることが今もいるのではないでしょうか?

 

何かきっかけになれば、とこの記事を残していきます💙💛🍉|||